湯西川温泉 日光

湯西川温泉 マニアックス

       湯西川温泉観光とイベント       湯西川温泉  民宿 やま久  囲炉裏の温泉民宿

通常の観光では、見る事聞く事の出来ない、湯西川温泉。そんな秘境ならではのマニアックな所を紹介していきます。

      Pick UP 
 
 湯西川温泉 温泉旅館の始まり
 
  発掘調査により古来より昏々と湧き
 出ていた温泉。

  明和年度(1764〜1772)幕府より
 公衆衛生道徳取り締まりが行われ。

  堂者小屋に泊り自炊賄いをした、
 これが、今の温泉旅館の始まり。

      Pick UP 
   釜八幡神社の神代釜
 
  寛治元年(1087)〜
       寛治7年(1093)頃

  源八幡太郎義家に安倍一族が料理を
 御馳走した、異型の野戦釜。

  当地の落人伝説のモデルとなった
   釜八幡伝説

  湯西川温泉 川戸平 
    釜八幡神社 ネズコ大木

       Pick UP

  鎮守様と言えば守り神、湯西川温泉
 では高房神社であり高房大明神である

  ご祭神は神社名簿によると
       『藤原高房』とある。




  湯西川温泉 高房神社
   鎮守府将軍 藤原高房大明神

      Pick UP 
  ―――<そろそろ、夏!!>―――

  ◎ 湯西川の祭り


   湯西川温泉 湯殿山神社
       大祭礼と講中代参
 


  湯西川温泉 湯西川の獅子舞


  
      Pick UP 

 ホームページリニューアル中!! 



 湯西川温泉の歴史
  (中世、戦国時代の調査検証)
        書きかけ!!
  



   
  
 


 



  
山口久吉の話

    山口久吉氏(大正八年生〜現存)

     歴史学に関しては、元栃木県史編纂員、下野古文書研究員、
    元栗山村文化財保護審議会会長、を努め。
     村紙「くりやま」にて「ふるさと探訪」「村の歴史散歩」を著作。
    また、民俗学方面では「くりやまの昔話」等も著作。
     名言は「古文書は歴史の証人である」「伝説は歴史では無い」。
    旧栗山村では昭和、平成の唯一無二の歴史学者である。


 ◎ 湯西川温泉の歴史

    栗山村と湯西川の名前と地名の由来

     湯西川温泉の地名の由来や先住民、遺跡等について書かれてあり。
     湯西川の事は、この話から読むのが一番かと思います。


    栗山村の創設と領主支配関係

     飛鳥、奈良時代〜戦国時代、そして明治の領主や栗山村誕生などが書
     かれてあり。 「古文書は歴史の証人である!」の思いで、山口久吉
     が数十年かけて調べた濃い話。


    湯西川温泉 温泉旅館の始まり

     古来より湧いていた温泉が、如何にして温泉場に成ったのかが書かれ
     てあり。 湯西川温泉には切っても切り離せない話。


   ◎ 湯西川温泉の産業と文化

    湯西川温泉 昔の産業 木杓子つくり

     今は消え行く伝統工芸の話。  
     湯西川温泉を支えた一大産業、木工木杓子の話。


    湯西川温泉 捕鳥場(トヤバ)の猟

     今は狩猟法により行われなくなった網猟の話。  一時期湯西川の産
     業を支えた捕鳥場の事が書かれてある。


    湯西川温泉 湯西川の食料 稗粟とバンダイ餅

     今も湯西川温泉では食べられている、人気のバンダイ餅と
     むかしの食料事情。


    湯西川温泉 昔の外部交流、峠の山道@
    湯西川温泉 昔の外部交流、峠の山道A

     外部との交流は峠の山道を越えるしかなかったと言う話。
     暮らしに密接な関係のある経済、文化、情報等の交流等はすべて、峠
     の山道を経由したものであった。


    湯西川温泉 鶏を飼わなかった氏神信仰

     家の裏に小さな森があり、赤い祠に氏神様を祀ってある。
     いや、家では鶏を飼っていたと言う、鶏と人間の関係の話。


    湯西川温泉 歌舞伎芝居と祝い歌 

     謡い初め、結婚初夜床入り儀式の歌と歌舞伎芝居の話。
     特に「奥州安達原」は涙雨が降ったと云う。


   ◎ 湯西川温泉の神社仏閣

    湯西川温泉 高房神社 鎮守府将軍 藤原高房大明神

     鎮守様と言えば守り神、湯西川温泉では高房神社であり高房大明神で
     ある。 ご祭神は神社名簿によると藤原高房とある。


    湯西川温泉 仏照山湯覚院慈光寺

     明治八年 寺の本堂を仮校舎として湯西川学校を開校した。
     湯西川学校の祖であり、地元ご先祖様の大切な過去帳寺記録が保
     管さている。


    湯西川温泉 沢口薬師堂 山岳信仰の修験道と花火

     弘仁十年 湯西川の記録では最も古い記録が残されている。
     かの弘法大師も訪れた山岳信仰の修験道中にある薬師堂と花火の話。


    湯西川温泉 高手三十三観音堂

     当地では一ヶ所で、この三十三観音巡りが出来るようにと、この地に
     三十三体の観音様をお祀りした。


    湯西川温泉 湯殿山神社 大祭礼と講中代参

     湯西川の二十日祭り湯殿山神社大祭典の話。
     室町時代頃より在る、山形県湯殿山への講中代参と湯殿山講中代参帳
     それもみな、湯西川の信仰のたまものであった。


    湯西川温泉 川戸平 釜八幡神社 ネズコ大木

     湯西川川戸地区に残る、樹齢推定六百年の天然記念物ネズコ大木と 
     現状調査資料により落人伝説の残る釜八幡神社の話。


    湯西川温泉 乞食竜五輪塔供養塔


   ◎ 湯西川温泉の事件簿

    湯西川温泉と戊辰戦争

     あの時から一三五年が過ぎた今・・忘れ去られた。 戊辰の動乱の事
     実を残された僅かばかりの文書により、その史実を纏めて見ました。


    湯西川温泉の事件簿@ 国有林野下戻訴訟事件

     この事件は古来よりの民有地が、誤って官有に編入された事に始まっ
     た事件で。  50年にも亘る日本裁判史上最大最長の話。この裁判
     の勝訴の判決の結果、今の温泉観光地としての発展を見るに至った。


    湯西川温泉の事件簿A 田代山の雪崩事故

     大正六年一月、福島県館岩村の田代山に泊り小屋に、木杓子作りに出
     稼ぎ中であった時の話。 厳しい自然の中での、湯西川温泉の人々の
     生きていた大変さが分かります。


    湯西川温泉の事件簿B お品加助心中事件

     天保十年 跡取り同士のお品と加助 二人はこの世で添えぬ恋仲をと
     観音様に最後のお祈りを捧げ親に先立つ不幸の罪を許し給えと、お堂
     の中で悲恋の心中を遂げました。


   ◎ 湯西川温泉 奥義

    湯西川温泉 瀬戸権現の滝 と 橋立村

     湯西川温泉奥地 三河沢の瀬戸権現様と滝の話と、橋立沢のたった一軒
     でも村と今宮様の話。

        
    湯西川温泉 湯西川の獅子舞

     湯西川の上部落と下部落に伝承されている。文挟流の獅子舞の話。


    湯西川の剣術 慈眼新陰義経流

     湯西川温泉に在った剣術道場、開祖 山口久右衛門。
     其の名も『慈眼新陰義経流』。


    関東に於ける平家落人の足跡を訪ねて

     伝説ではない、史実に基づいた平家落人の史跡を訪ね歩いた記録。






       
山口久吉の話
 湯西川温泉の歴史

◎ 栗山村と湯西川の
    名前と地名の由来


◎ 栗山村の創設と
      領主支配関係


◎ 湯西川温泉
    温泉旅館の始まり

湯西川温泉の産業と文化

◎ 湯西川温泉
 昔の産業 木杓子つくり


◎ 湯西川温泉
  捕鳥場(トヤバ)の猟


◎ 湯西川温泉 湯西川の食料 稗粟とバンダイ餅


◎ 湯西川温泉
昔の外部交流、峠の山道@


◎ 湯西川温泉
昔の外部交流、峠の山道A


◎ 湯西川温泉
鶏を飼わなかった氏神信仰


◎ 湯西川温泉
 歌舞伎芝居と祝い歌


 湯西川温泉の神社仏閣

◎ 湯西川温泉 高房神社
鎮守府将軍 藤原高房大明神


◎ 湯西川温泉
   仏照山湯覚院慈光寺


◎ 湯西川温泉 沢口薬師堂
 山岳信仰の修験道と花火


◎ 湯西川温泉
    高手三十三観音堂

◎湯西川温泉 湯殿山神社
    大祭礼と講中代参


◎ 湯西川温泉 川戸平
 釜八幡神社 ネズコ大木


◎ 湯西川温泉
   乞食竜五輪塔供養塔

 湯西川温泉の事件簿


◎ 湯西川温泉と戊辰戦争

◎ 湯西川温泉の事件簿@
 国有林野下戻訴訟事件


◎ 湯西川温泉の事件簿A
 田代山の雪崩事故


◎ 湯西川温泉の事件簿B
 お品加助心中事件


 湯西川温泉 奥義

◎ 湯西川温泉
 瀬戸権現の滝と橋立村


◎ 湯西川温泉
    湯西川の獅子舞


◎ 湯西川温泉の剣術
    慈眼新陰義経流


◎ 関東に於ける
 平家落人の足跡を訪ねて



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