山口久吉の話
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   湯西川温泉の事件簿@ 国有林野下戻し訴訟事件




                                    山 口 久 吉


   この事件は古来よりの民有地が、誤って官有に編入された事に始まった事件である。

   湯西川の山林は古来より、個人所有以外の土地は郷山又は村山として、合理的な管理を行
  い、生活と密接な関係にあつた。見渡す限りの広大な山林を、各集落毎の区域を決めて山の
  幸を、公平に享受できるように、

   最寄山議定帳(これは各坪毎に持ち場を定めて栃の木、栗 の木、きや、茅、笹等の
         採取の権利を与え濫伐を防ぎ、養護の任に当たらせた)

   囲山連判帳、及び植木取極議定証文
         (これは湯西川村山の内、五ヶ所を各坪毎に定めて、杉 檜、椹、の三
          種類の内、一ケ年一人拾本づつ拾ケ年間植林することを定めた議定書)

    等、などの取り決めがあり、山の利用が郷山、村山として適性に行なわれて来た。


   明治六年から同九年迄、新しい政府のもとに地租の改正が行なわれ、官民所有の区分を一
  新させた。  当地にも改正担当人を置き、土地の丈量を実施し新地籍を編成したが、この
  時村山を誤って官地に編入されてしまった。 明治九年から官有地となった村山は営林署の
  管理するところとなり、担当区を設置した。 木杓子、木工品、その他の生業を山林に依存
  する村人達は、相当の代金を営林署に支払って、立木の払下をすることになった。

   明治三十二年四月、国有土地森林原野下戻法が公布された、時の山口丈七郎村長は農商務
  大臣、清浦圭吾に対し、明治三十三年六月八日下戻しの申請を行なったが、 同三十八年三
  月十五日 附農商務省指令第五六○一号を以て、下戻しの件聞届け難しと却下されてしまっ
  た。 この結果村長は村議会の議決を経て、下戻法第六条により、明治三十八年五月一日 
  弁護士近藤外次郎を代理人として、二万一千四百三十町歩に亘る国有林の、下戻しを国を相
  手に行政裁判所に提訴した。

   昭和二十年終戦後の諸改革に伴い、行政裁判所が廃止され、本件は東京高等裁判所に於い
  て、新しい手続きによって進行することになった。

   栗山村長山越英祐は村議会の議決を経て、弁護士宮崎直二を代理人に選任し、改めて訴訟
  を続行した。 実地検証を行なうこと二回十日間、検証に立合ひたる者約四千名、村側証人
  として証言した者十一名、証拠として提出した書類甲第一号証から甲第四十五号証の四十五
  種類の多きに及んだ。 

   そして裁判で争うこと約五十年間、この間農林大臣の更送すること六十五人、原告栗山村
  長の更送すること七人、裁判長の更送すること五人、の長きに及び日本裁判史上最大最長の
  裁判となったが、この訴訟事件に終止符をうち、

   昭和二十七年一月二十三日 東京高等裁判所に於いて、原告勝訴の判決が下った。
  それは、

    一、明治三十八年三月十五日附の下げ戻しの件聞き届け難しとの指令を取り消す。

    一、被告は原告に対し別紙目録記載の国有林野を下げ戻すべし。

    一、訴訟費用は被告の負担とする、

    というものであった。

   そして長年の夢がかなえられ、元の民有地に戻った。 時の林野庁長官横川信夫は、後の
  栃木県知事となった、故人その人であった。

   その後、この山林は全山保安林の指定を受け、財産区を設置し一部を、県有林及び村有林
  に渡し、一部を弁護士に裁判の報奨として譲渡し、残りの山林を有効且つ合理的に財産区で
  維持管理に努めている。


  ☆ 湯西川が、今の温泉観光地としての発展を見るに至ったのは、この裁判の勝訴の判決の
   結果であり、又往古より受け継いで保護されてきた、山林資源の賜でもある。











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