山口久吉の話
       詳しくは、民宿やま久 までご連絡ください。
                 0288−98−0902




   湯西川温泉 昔の産業 捕鳥場(トヤバ)の猟





                          山口 久吉

    捕鳥場

     当地では、昔から猟の一つに捕鳥場(トヤバ)の猟があった。 生活と密接な関
    係にあり、トヤバの権利も大きな存在であった。 年貢に困った時などは、何処ど
    このトヤバと、網何十反を金何両也で売渡し申す事実正也、等と、トヤバを売買し
    た古文書等も今に残っている。

    では参考までにその一部を述べて見よう。

    豪快な猟はトヤバのハッキリ網

     湯西川の高い山の峰筋のタァー(鞍部)はいたる処がトヤバであった。 立木を
    短く切り詰めたタァーの峯の両側に、段々にハッキリ網(木綿糸の網で二段の腰糸
    が袋になるように設定してあり、網糸は細い木の先を二つに割ってそこに止めてお
    き、鳥が網に当たるとその振動で網糸が外れ網が落ち二段の袋になる)を二、三十
    反と張りめぐらして、網の下は綺麗な草地になっていた。 トヤバにはトヤ小屋が
    あり、そこに寝泊りして囮(オトリ)を飼っていた。 猟の時間帯は朝鳥と夕鳥の
    二回で、要所要所には囮の鳥籠を置く場所が設けられていた。

     朝鳥、朝、東の空が白んでくる頃、夜明け前に配置した囮が鳴きだすと、点々と
    大空に黒い鳥の姿が、一団の大群となって飛んでくる。 囮が鳥を呼び寄せるので
    ある、鳥の言葉は分からぬが??、と丁度トヤバの真上にさしかかる頃、トヤ小屋
    の窓から口に手を当て、ブーツと大きな音を出すと、それが鷹の羽音に聞こえると
    いう、鳥の一団は驚き急降下で立ち木の下に隠れようする、と待ってましたとばか
    りのハッキリ網、この網に鳥の一団が飛び当たるとサア大変、一網打尽、網がバサ
    ァーツと落ちると二段の腰糸が袋となって、鳥の一団は網の中、ソレッとばかり小
    屋から駆け出して、網の上から小鳥を両手で背骨を折ると鳥は死ぬ、全部を潰すと
    ハッキリ網の網糸を引き、網をピーンと張ると小鳥は全部下に落ちる。 鳥の集団
    は同じコースで、次から次へと続いて翔んで来るので、網糸を放すと又鳥は袋の中
    全部潰して網糸を引っ張ると鳥は落ちる。 三、四回これを繰り返すと網の下に鳥
    の山が出来る、が死にきれないでバタバタ翔んで行くものもある。 鳥の一団が飛
    び去ると朝鳥の猟は終わりとなる。

     小鳥は主にツグミ、ジナイ、アトリ、ヒワ、等で大柄のツグミ、ジナイが喜ばれ
    た。捕れたツグミ等は荒縄の目を緩めて、頭をつつこみ十羽一連として、今朝は何
    十連とれた等と喜んだ。

     ハッキリ網は風が強いと、から落ちする欠点があったが、後になってたいした網
    が出来たんだと、という話だったが。 細いたいした糸で張りっぱなしで、空落ち
    しない、それがカスミ網だった。


    ツグミ酒は最高?

     捕れたての鳥を毛をむしって、串に刺し囲炉裏焼きで、熱燗の日本酒の中に入れ
    るとジーッと油が浮いてくる。 所謂、ツグミ酒、うまい、これを飲んだらたまら
    ない、だから、トヤ張りは、やめられない。


    狩猟法

     だが、こんな生活をストップしたのが狩猟法である。 昔から続いたトヤ張りは
    禁止となってしまった。 ツグミも渡鳥として捕れなくなった。 現在は、ほとん
    ど日本には渡って来ないツグミ、その大多数が北方シベリア地方に行ってしまって
    るらしい。


 ワナトヤバ証文
 ハッキリ網
 とやば、あみ、
  売り渡し証文
 




                     
ふるさと探訪 湯西川 J





       湯西川温泉マニアックス トップページへ 戻る 
          湯西川温泉  民宿 やま久  囲炉裏の温泉民宿