山口久吉の話
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     湯西川温泉 湯西川の獅子舞



                                 山 口 久 吉

    ◎ 湯西川の獅子舞

     湯西川の獅子舞、湯西川の上部落と下部落に文挟流の獅子舞が伝承されている。
    何時頃から初められたのかハッキリ判っていないが、湯殿山大権現をお祀りした頃
    から獅子舞が行われていたらしく、

     享保十一年(1726)にはすでに獅子舞が行われており、
     元文三年 (1738)の当所権現御祭獅子踊長の記録によると、四十年後の
     宝暦十年 (1760)に火挟村の獅子太夫八平殿が獅子舞を教えに参ったとあり、
             更に、
     宝暦十二年(1762)に踊りの直しに来たとある。又、
     弘化ニ年 (1844)の記録には獅子元祖山口佐源冶、元祖剣術名舞山口佐忠田と
             あり、
     嘉永ニ年 (1849)の記録には山口佐忠直伝当年八十八才のご祭礼獅子棒之形木
             刀きだちの教えが記されている。

     湯西川に伝わっている獅子舞は若衆達によって、神にお使いする奉納獅子として
    氏子安全、五穀豊穣、病魔災厄退散を祈願する舞えと、神仏の霊をたたえ、祖先や
    亡き人の霊を供養するための恵向獅子として、現在に引き継がれて来たものであり
    文化遺産としての価値も高く若衆制度の存続とともに、人々の注目する所である。
    
     獅子舞の構成は、太夫獅子、雄獅子、牝獅子の一人立ち三匹獅子で、太夫獅子と
    雄獅子には角があり、獅子舞には警護役二名が裃袴姿で舞を警護する、花籠四名が
    がおりこれはお山を意味するもので、笛吹きは若干名で六穴の横笛を吹く、舞には
    初庭と後庭の二舞があり、初庭には幣束とり、後庭には弓くぐりの弓立役がおり、
    又、上部落の獅子舞にはササラ踊りがある。

     この獅子舞の管理運営は若衆組が行っており、部落総代長が代表者となっており
    若衆組には十五歳で加入し、数え年四十三才の七月に脱退し、それ以降は朋輩とな
    る。

     若衆組には年齢階級による次の様な制度上の役割があります、即ち、大世話人が
    各坪に一人、下世話人が若干名、大中老が各坪に一人、下中老が若干名と若衆で構
    成されており、若衆組は厳格な付き合い組織で、大世話人を中心に獅子舞諸道具の
    管理と部落祭礼行事に奉納獅子舞を演じる。

     次に獅子舞の演じられる行事に付いて、文化七年(1810)のご祭礼獅子奥行きの
    記録によると、

    毎年六月二十四日、湯畑村愛宕山にて獅子舞を初め。

      同 二十五日、鎮守高房大明神へ舞う。

    一、七月 十三日、夜、若者総揃えにて獅子稽古相初り候事なり。

      同  十四日、菩提所へ相集まり弥陀様より獅子を初め、
             それより恵向獅子として、あたらしぼんの所へ獅子をいたし、
             同夜も稽古するなり。

      同  十五日、お寺名主殿へ例年の通り礼獅子舞候なり、
             夜も稽古いたし候也。

      同  十六日、お寺十王様へ獅子いたす也、同夜も稽古いたす也。

      同  十七日、花和高手の観音様へ獅子をいたし候也、
             次に勝ヱ門、利平次取持ちの今宮権現へ獅子いたすなり。

      同  十八日、昼、花ふき、稽古いたすなり。

      同  十九日、御山普請の後に獅子揃いとして、その所へ名主殿を呼び、盃を
             出し候なり、それより若者中皆々あつめ二十日の御祭礼の役者
             付けをいたし盃を出すなり、同夜は皆々休みに致し候なり、下
             の原獅子、十九日先手後手の儀につき、上の村、下の村若者頭
             一人宛、名主殿へ罷出獅子先手後手の手形受け取り候事なり。

    一、同  二十日、御祭礼上下両覚屋へ幕をうち、上下若衆共入り込み候也、後手
             の方より今日はその方先手に御座候間、太鼓御初め候べし、と
             若者両人使えに参り候なり、行御山御のつとう相済み候ての後
             なり、先手の太鼓相済み候はば 後手のにても太鼓を打ち始め
             それより又後手のほうより獅子の御支度被成度と若者頭両人使
             えに参り候べし、両方二タ庭づつ獅子を舞相仕舞には、又後手
             の方より、先手の方へ、今日の御祭礼目出度く相済み候由にて
             相互いに恐悦に奉存候と互いに両覚屋へ義理を述べて、それよ
             り覚屋の幕を取り旗を取るなり、それより湯元村に帰り例年の
             通り、下の原今日のご祭礼も首尾よく相済み候なりと、名主殿
             へ若者頭両人参り一礼を述べて、直ちに例年の通り獅子を打可
             名主殿へ申し上げ候也、獅子二庭は打ち、それより若者頭二人
             名主殿へ参り、今日御祭礼首尾相済恐悦至極に奉存候と一礼を
             述べて、それより皆我が家へ帰り候也。

        二十一日、鎮守様へ獅子を舞い、同日鎮守祭りの定める極メ候て相わかれ
             候也。

     右の通り諸事礼式の通り無念不致様相勤候もの也。
                                    月   日
     若者頭中


     となっている。 これは上若者組による獅子舞行事を記したもので、次に獅子舞
    の内容について解説しよう。

     獅子舞には、太夫獅子、雄獅子、牝獅子の三匹の獅子が、大願成就の祈願をいだ
    いてお山に登る途中の出来事を、笛と太鼓のリズムに合わせて舞姿に表現したもの
    で、寄せ太鼓、獅子舞の前には、この寄せ太鼓を打ち鳴らす、若衆は寄せ太鼓によ
    って楽屋又は祭礼の場所に集まる。

     覚  屋、湯殿山神社の祭礼には、幕を張り巡らして若衆の控え場所の覚屋を作
          る、獅子舞はこの覚屋から舞えだす。

     引  幕、覚屋を作ることの出来ない場所では、引き幕を張りこの中から獅子舞
          を出し、鳥居掛り、鎮守様、愛宕山神社で行われる獅子舞の場合は鳥
          居がかりと称して鳥居の下から獅子舞を初め、街道登りの笛で、神社
          の社前に登りつめ、獅子舞を奉納する。

     獅子舞の順序、獅子舞には初庭と後庭の二庭の舞があり、初庭には、幣束とり、
    牝獅子かくし、の舞があり後庭には弓くぐりの舞があるが順を追って説明する。

    一、初庭

     ◎幕明け、  幕の中で太夫獅子、雄獅子、牝獅子の三匹の獅子が、お山に登る
           相談をし、そして太夫獅子、雄獅子、牝獅子の順で幕明けをし、太
           夫獅子が先に出て、戻って牝獅子を呼び出し、一緒に街道を目指し
           て出るが、また戻り、先に出られて怒りたける雄獅子をまじえて、
           三匹揃ってお山を目指し街道に出る。

     ◎街道登り、  三匹揃ってお山を目指し、街道を登り、胴腰といってお山を登
           るしぐさをする。

     ◎庭競り、  強気の雄獅子は太夫獅子との折り合いが悪く、度々庭競りとなる
           が、太夫獅子にはかなわない。

     ◎休み、  疲れはてて、三匹の獅子は話あって休みます、(座る)

      「これまでの舞いを歌前と言う」 三匹揃って歌となり、
、       (わけのぼるふもとの道は多けれど 同じ雲井の月をこそ見る♪)
       (参りきて、これのお山を眺むれば 黄金お山で光かがやく♪) 等など
           獅子は頭(かしら)づかいをして、歌のきれめを太鼓でしめる。

     ◎庭見、   幣束をたて、山にわけいって、金の幣束を見つけて驚く、金の幣
           束は有難く光輝くので手が付けられづ、そこで太夫獅子に頼んで交
           代する、つつかぶり、四方がため、バジさし、胴腰、トッピンヒャ
           ラ、花かき、等の舞がある。

     ◎幣束とり、  太夫獅子も幣束の光と鈴の音色に妨げられ、なかなか取れない
           が、やっとの事で幣束を手に取り、見せつつ、四方固め、懐古楼な
           どを舞い、幣束を納める。

     ◎山下、   金の幣束も取ったので、三匹して山下にかかるが、この頃より太
           夫獅子と雄獅子は、互いに優しい牝獅子に想いをよせるようになり
           中段ぎり、牝獅子を中心に、愛の語らいをする情緒豊かな舞いで、
           歌が入る。
            (お茶立てる娘心はしらねども 返す茶碗に文を入れそろ♪)
           花籠が出、四ッでお山をかたちづくり、これからお山に入るのが、
           山下からこのあたりが、獅子舞いが最高潮に達し見ごたいのある舞
           いとなる。

     ◎牝獅子かくし、牝獅子は金の幣束を取った太夫獅子を慕って山に、一緒に入り
           牝獅子を前から慕っていた乱暴な雄獅子が横取りして、山の中に隠
           してしまう、これを知った太夫獅子と雄獅子の間で争いとなり、度
           々大相撲となるが、力の強い雄獅子にはかなわない、賢い太夫獅子
           は弓で攻め立てたので、さすがの雄獅子も負けてしまい最後には仲
           直り、というロマンチックな舞い。

     ◎山くずし、 花籠は一つだけとなり、綺麗な咲き誇る花を表現し、花すい、仲
           直りをした三匹の獅子は、大願成就の祈願を終わり、花の精のを吸
           うという舞い。

     ◎街道下り、 三匹の獅子が仲良く揃ってお山を下り帰る。三匹の獅子は覚屋に
           もどり、舞いは終わり。

                
    二、後庭、   (幕明け)(街道登り)庭競り と、初庭と大体同じだが、笛の音
           色、メロデーと舞姿の表現に違いがあり、初庭よりもやわらかい感
           じで舞う、休み 歌庭見 庭見の舞いには、胴腰、四方固めなどを
           舞い、弓がかり、弓立役が弓を横にして両手で持ち、弓と共にお山
           にまたは三式に三礼をした後獅子の方を向き、獅子と一緒に踊り弓
           を立てる。

     ◎弓くぐり、 弓をくぐろうとする舞で、つっかぶり、弓はかり等の舞いがあり
           雄獅子がくぐろうとするがくぐれないので、太夫獅子と交代し、太
           夫獅子は弓との間合いや高さをバチではかり、ようやく弓をくぐる

     ◎街道下り、 太夫獅子が弓をくぐったので、三匹揃って大願成就の祈願をおえ
           お山をさがり街道をくだる。ります、三匹の獅子は覚屋にもどり、
          舞は終わりとなります、


    三、恵向獅子、

     寺と初盆の家で舞う獅子舞いをいう、獅子の前に二列に向かい合ってならんだ歌
    歌いと笛吹きが、歌に合わせて桃の小枝に三色の色紙をつけものを捧げ持ち、上体
    を浮き沈みさせながら、足ずりで前に進みます、歌は前歌で、

     「下妻のたがやどの船にて……・」というもので、

     また、初盆の家では、仏前で念仏をとなえ水供養を行う。


      以上、獅子舞いについて解説したが、これらのものは、村の古老から聞い た事
    柄や笛の曲の呼び名、舞い姿の呼び名をもとにして、まとめてみたもので、漠然と
    していて、はっきりしない点があるのが事実で、もしもこれ以上細かい説明をしょ
    うとすれば、作りごとになってしまうおそれがあり、獅子舞いを見ている人が、今
    一体何を舞っているのだろう、この舞はどんな事を表現しょうとしているのだろう
    という事が、よく解らないというのが、昔からこの地に伝わる文挟流獅子舞いの真
    の姿であり、農耕儀礼から発したと言われる祭りと信仰を通して、守りぬかれて来
    た伝統芸能の本当の姿では無いかと思われ、又この民俗芸能を今だに厳格に整然と
    守り続ける村人と若衆達の力と組織に対して力強さを感じます。



                    追

     古文書の記録には、享保十一年(1726)にはすでに獅子舞が行われており、とあ
    り、温泉の発見、湯殿山神社建立と共に、発祥年代は現在も不明。















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