山口久吉の話
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   湯西川温泉の鶏を飼わなかった氏神信仰





                                   
山口 久吉


  鶏を飼わなかった氏神信仰

   湯西川では鶏を飼わない、氏神信仰がある。 家の裏に小さな森があり、氏神
  様を祀ってある。 棟札には、鶏権現霊と墨書してあり、鶏権現様を祀ってある

   この氏神様は集落の二、三軒が共同で祀っているが、昔から祀ってあるので、
  御祭神の程は分かっていない。 その家の人に尋ねると、鶏は飼わなかった又卵
  も食べなかったと云う。 しかし最近は卵が栄養があると云う事で、その家のご
  主人だけが食べないで、家族の方は食べているとの事である。

   ご主人が病気の時は奥方が代わりになって、ご主人に卵を食べさせたという。
  又、滝尾神社を祀ってある集落では、御祭神が理由不明だが、鶏を嫌うと言われ
  ているので、昔からそれを忌み鶏を飼わなかったという。

   時代が変った今はどうであろうか。
   ある時東京の方からの電話で、湯西川では鶏を飼わない卵も食べないと云う事
  だがどうしてでしようか、と問い合わせがあった。 その時私は、それは二ツの
  理由があり、一つは氏神信仰で鶏権現様を祀っている家と、滝尾神社を祀ってあ
  る集落は、鶏は飼わなかった。 もう一つは落人伝説で、鶏の鳴声で居所を知ら
  れたと云う故事に因んで、鶏を飼わなかった。 と云う事であると答えた。

   では湯西川では、本当に鶏は飼わなかったのか。 いやそれ以外の家では鶏を
  飼っていた。


  鶏は純日本鶏

   黒色の羽毛の、純日本鶏を家毎に飼っていた。 勿論放し飼いで、時計のない
  時代に時間を知る上で貴重な存在だった。 一番トキのトケコッコウの声で、そ
  ろそろ夜が明けるぞと思っていると、二番トキの声で、そら夜が明けたと飛び起
  きて玄関の戸を開けると、待っていたとばかりに鶏がトヤゴヤから土間に飛び降
  りて、敷居を跳びこえて表に餌をついばみながら出ていった。 

   トヤゴヤ(鳥小屋)はどこの家でも、厩の上に止まり木付きで造ってあった。
  卵は玄関の上の片隅に箱を造って、中に藁を敷いて産みやすくしていた。 これ
  に跳び上がって卵を産んだ。 たまには庭の草叢の中に産む事もあった。

   鶏はトリ目といって夜は見えなくなるので、夕方になると家の中に帰ってきて
  土間に播いておいた、ヒエや麦等の餌をついばんでから、馬船に飛び上がり、つ
  いでマセンボウにとびのり、そしてトヤゴヤに跳び上がって、渡り木に止まって
  休んだ。 

   たまに宵ドキをコケコッコウと鳴くと、サア大変、「 宵ドキは火にたつ、ソ
  レ水かけろ。(火事になるから水をかけろ)」といって水桶から杓(ヒシャク)
  で水を汲み土間に下りて、トヤゴヤの鶏めがけて投げビシヤクで、バシャァツと
  水を投げかけた。

   この地方では、鶏の黒い尻毛は、昔から行なわれて来た獅子舞の、獅子頭に付
  けて頭を形づくっていた。 黒色の長い毛ほど貴重がられていた。 庭に落ちて
  いる尻毛を見付けると、大事に貯めておいて若者組に差し上げていた。 
   しかし、卵の産む率が純日本鶏よりも、白色レグホンの方が産卵率が良いので
  白い毛の鶏に変って来た。 そのため獅子頭の毛も、町の方の養鶏家から黒い毛
  を購入するようになっていった。

   卵は栄養があり、山里の食糧としては高級品であった。 純日本鶏の卵は赤殻
  であったので貴重がられた。


   鶏の夜明けのトキの声は、隣近所に響き渡り、今の時報の様でもあった。 
  しかし、ながら時代の推移と共に農業も作物の縮小にともない、雑穀類を栽培し
  なくなった為に、鶏の餌が無くなり鶏を飼うことが出来なくなり、現在では鶏を
  飼っている家がなくなってしまった。











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