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湯西川温泉 乞食竜五輪塔供養塔 山 口 久 吉 乞食竜の供養碑湯端から川戸に行く手前に、細道と云う難所に道があった。此処 は岩磐の切り立った岩場に作られた細い道で車道になる。 以前は事故のあった難 所で、雪崩の転落事故や行路病人の転落水死などがあった所であり、この細道の手 前ウシノモトの平地に大きな岩石がぽつんとある。 下側がいぐれて竜になってお り、雨宿り等にはもってこいの場所であったが、何時頃かこの竜に乞食が焚き火を して泊まるようになり、誰言うとなく乞食竜と云うようになった。 この岩石の上、中央部にポツンと建立されている五輪塔、よく見ると何とこれは 足利時代の永正八年(1511)と相当古い年代の陰刻がある。 この五輪塔供養塔 ★碑文を調べると、権律師、碩恵、頑修、永正八辛未日、とあり、 四面の梵字は読めないので、徳田浩淳先生に解読をお願いした。 権律師とは、 僧綱よると僧官の位であり、 例、) 僧正――僧都――大律師――中律師―― 権律師、となる。 平安中期以降僧綱は全く有名無実となった結果、単なる僧位を示すものとなり、 明治以降は僧階の一つとして使用されるにとどまっている。 しかし何故、権律師 の位にある僧、『碩恵』の供養塔が此処に建立されているのか、『頑修』とは逆修 に通じる、とすれば僧、『碩恵』は生きながら仏門に入り、己を供養しながら当地 の仏教布教の為尽力され、この竜に於いて他界さ れたのであらうか。? それとも、それとも、『頑修』の二字が気に掛かる、 ともあれ足利時代のことである、、、、、、。 ふるさと探訪湯西川 31 追 孫 山口久吉の話(ふるさと探訪 湯西川)は地元広報誌に長らく掲載された、十数 年前の文書であり、湯西川と旧栗山村、又、県史など多くの古文書等を、数十年に 及ぶ調査検証した資料を元に書かれた文章である。 が、気に掛かる、の、問い掛 けで終ると此方も気に掛かる。 聞いた事は無いが祖父は粗方経緯を知っていると 思う。 年表と説明を入れてみた。 足利幕府室町時代の戦国期に入ると、旧会津西街道を主要道にして湯坂峠の向う 側旧会津西街道を主要道に 三依、横川、塩原では会津軍勢(蘆名氏長沼家ら)と 下野宇都宮氏との間で争いが頻繁に起り始める。 また、この時代 日光山は関東一大霊場としてその名を誇り、日光修験や日光文 化の全盛時代で、当地にも数多くの文化が入ってきた。 ◎永正元年正月(1504)上赤沢筋に、藤原高房を御祭神とし高房神社を分祀建立。 ◎永正八年(1511)乞食りゅうに五輪の塔供養塔を『権律師、碩恵、頑修』。 ◎永正十一年(1514)下川戸平に、藤原高房を御祭神とし高房神社を分祀建立。 ◎天文十八年三月(1549)現在の慈光寺境内に六地蔵逆修供養塔。 ◎弘治三年九月十二日(1557)高手三十三観音堂。 時代背景は日光山往古社領と下野国の藤原北家道兼流宇都宮氏、藤原北家中御門 流壬生家、宇都宮広綱の次男で佐竹義重(十八代当主)佐竹義重の甥に当たる結城 朝勝と藤原北家小山氏系結城氏、とその関係。この時代、藤原北家小山氏系長沼氏 (芦名家)と下野宇都宮氏との激戦区に隣接した、県境十乗房湯西川郷は、大豪傑 軍神藤原高房を御祭神とし高房神社、鎮守様を分祀開基建立。 伊達御家譜略壹に よる筑西市指定文化財史跡・藤原高房供養塔(等覚院供養塔)や下野神社沿革史、常 陸国係杉山私記(常陸国真壁郡郷土史)による藤原高房大明神。 今も残る湯西川 獅子舞回向獅子唄「下妻の多賀谷殿〜♪」結城家家臣多賀谷城(下妻城)城主。 戦国期結城領と其の近隣に集中する、現在七社確認済みの高房神社。 日光山往古 社領、高房神社、結城領、そして獅子舞、とても関連が深く、乞食竜五輪の供養塔 『権律師、碩恵、頑修』、六地蔵逆修供養塔『六地蔵奉為逆修善退也』、これが如 何なる塔なのか、素直に古文書等の資料を並べ組替えると、当時の湯西川郷が想像 できる。 ◎天正五年(1577)田島城主、長沼盛秀は上三依に鶴ケ淵城を築き、関東の上杉勢 に対抗すべく五十里村まで進出したが、この時湯西川の番対馬守は、米弐疋弐駄で 湯西川郷を安堵した。 ◎天正十八年(1590)秀吉の小田原城攻めの際、日光山衆徒は壬生義雄と共にに出 兵、北条氏に加担し秀吉の怒りをかい、門前屋敷と足尾郷を残し、すべての寺領を 没収または焼討ちとなり。 領内外の僧徒は四散し、日光山は滅亡状態となる。 日光山湯西川郷の十乗房も没収焼討ちとなり断絶したと記録にあり、地誌編輯材 料取調書によると村の九ケ村の内四ケ村(湯西川村を含む)が一村悉く焼亡せりと ある。 ◎文禄年間(1592〜1596)故ありて分離す各一村の名称有し即ち今の九ヶ村なり。 ◎慶長年間(1596〜1615)塩谷郡に属せり、尚詳細の事(分離の訳)は中古出火の 為に一村悉く焼亡せり。 続きは慈光寺で 孫 |
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